日本経済のトレンドと働き方改革「アベノミクスと日本経済」/伊藤元重氏

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働き方の変革は、経済にどのような効果をもたらすのか。
経済学者・伊藤元重氏による連載コラム「日本経済のトレンドと働き方改革」。

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成功する需要喚起、課題となる供給サイド

安倍内閣が発足する前の日本経済と現在の状況を比べると、様々なものが大きく変わっていることがわかる。

2012年の名目GDPは、日本で金融危機が始まった1997年よりも7%ほど低く、500兆円を切る水準だった。アベノミクスが始まった2013年からは名目GDPは着実に増え、2017年には550兆円を超える水準になり、20年近くでようやく1997年の水準を超えることになった。

名目GDPの増加によって政府の税収も増え、2012年にはGDP比で9%を超えていた政府の財政赤字も、現在は4%台にまで縮小している。株価も2012年の年央で日経平均9,000円を切る水準であったが、現在では22,000円前後で推移している。企業収益も過去最高水準を更新しており、有効求人倍率で見た雇用状況は過去40年来の高さである。

このように様々な指標で見ると顕著な改善があったのにもかかわらず、多くの人にとって景気が回復した実感がないということが大きな問題である。大胆な金融緩和策が続けられているにもかかわらず、物価や賃金の上昇スピードは遅い。企業は過去最高の手元資金を抱えながら、それを投資や賃金引き上げに回す動きが鈍い。何よりも、日本の経済成長率は依然として低い状況が続き、今後高い成長が実現するということに楽観的になれない状況が続いている。

こうした事実を並べてみれば、日本経済がどのような状況にあるのか明らかであろう。需要喚起策は大いに成功してデフレ的状況から脱却することには成功しているが、経済を持続的に成長させる供給サイドの調整が遅れているのだ。

大胆な金融緩和策や機動的な財政政策は、需要を喚起する上で大きな役割を演じてきた。それによってずっとマイナスであったマクロ経済の需給ギャップは縮小を続け、わずかながらプラス方向に転じている。需要拡大の結果だ。ただ、潜在成長率が1%前後で低迷している中では、これ以上の経済拡大を期待することは難しい。供給サイドでの拡大が生じない限り、需要喚起策だけで成長を続けることは難しい。

アベノミクスでも、当初から供給サイドからの対応の重要性は認識されていた。だからこそ、三本の矢の中に成長戦略が含まれていた。規制緩和、市場開放、技術革新の促進など、成長戦略に関わる政策はいずれも供給サイドに関わるものであるからだ。そうした中で働き方改革が最重要政策であった。労働のあり方こそ、供給サイドの最も基本的な構成要素であるのだ。

望まれる労働市場の変化

供給サイドを変えていくことは、成長戦略など、経済政策の重要な課題である。どのような改革が求められるのかは、この連載の中で詳しく論じていく予定だ。ただ、供給サイドを変えていく主役は、政府ではなく民間である。市場経済社会において、政府が及ぼしえる影響には限りがある。より重要なのは、国民や企業がどのように行動を変えていくのかという点にある。民間経済主体の動きに注目すべきである。

そうした意味では、かつてない人手不足にある労働市場で何が起きているのかに注目する必要がある。正確にいうと労働力不足ではない。一方で厳しい労働力の不足に苦しむ業界があると同時に、他方で過剰な労働投入で生産性が低迷している分野も少なくない。

AIやIoTなどの影響で人手が余るようになってきていると言われる金融分野など、潜在的な人余りの代表的な業種である。金融業界だけではない。建設やシステムエンジニアなどの有効求人倍率が3を超えるような高い水準であるのに対し、一般事務サービスなどの業種では有効求人倍率は1を大きく下回っている。

もし、人が余っている分野から、人が足りない分野に労働力がシフトするのであれば問題はない。それによって、人余りの分野では過剰雇用が修正されて労働生産性が上昇する。そして人手不足の分野でも状況が改善される。そのような雇用調整が起きれば、労働生産性も潜在成長率も引き上げられる。

残念ながら、現実の世界ではそうした調整がなかなか進まない。昨日まで銀行の事務を行っていた人が明日からコンピュータの仕事をするのは難しいだろう。事務職の人がいきなり建設現場で働くことにも抵抗があるだろう。だから、人手不足と人余りの業界が共存する状況が続いている。これを労働力のミスマッチと呼ぶ。ミスマッチがなかなか解消しないことが経済の現実であり、日本の供給サイドがなかなか調整しないことの背景にある。

ただ、経済は時間をかけて調整するものである。労働力のミスマッチが続けば、それは必ずどこかへの圧力として働くはずだ。当面注目されるのは、賃金の動きである。労働力のミスマッチは賃金上昇への圧力として働き、賃金上昇こそが供給サイドの構造変化を引き起こす原動力となるからだ。

政府は賃上げを実現しようとして躍起になってきた。今年の春闘で、ボーナスも含めて賃上げ率が前年比3%上昇に近い水準になっていることからも、そうした政府の対応は成果が出ている。ただ、それ以上に重要なことは、労働力のミスマッチという現実が、賃金をどこまで引き上げるのか、という市場の力の存在である。この点について、次回でもう少し詳しくコメントしてみたい。

> 第2回 なぜ賃上げなのか

著者プロフィール

伊藤元重(いとう もとしげ)

現職
東京大学 名誉教授
学習院大学 国際社会科学部 教授

税制調査会委員、復興推進委員会委員長、経済財政諮問会議議員、社会保障制度改革推進会議委員、公正取引委員会独占禁止懇話会会長などの要職を務める。
著書に、『入門経済学』(日本評論社、1版1988年、2版2001年、3版2009年、4版2015年)、『ゼミナール国際経済入門』(日本経済新聞出版社、1版1989年、2版1996年、3版2005年)、『ビジネス・エコノミクス』(日本経済新聞出版社、2004年)、『ゼミナール現代経済入門』(日本経済新聞出版社、2011年)など多数。

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